お彼岸の時期は過ぎてはいるが
ご先祖さまあってこその今なので。
宝野の共同墓地。
CHK!!!
今は道も水道も、整備されていますが。
昔はアスファルト舗装ではなく砂利道でした。
ガタガタ道で行きも帰りも絶えず揺れっぱなしの車内、子供ながらに今でも覚えています。
水道もないので家からペットボトルで水を持っていかないと掃除も出来ず、もちろんお花の水も入れることもできません。
戦後に建てたお墓だったので石を積んで作ってセメントで隙間を埋めてあったので、痩せてきたセメントの隙間から雑草が生えて酷いと墓石をこえる長さな時もも、ありました。
窪野家の中で唯一、免許を持つ俺は。おばあちゃんや親父さんを乗せて、よくお墓参りへ行きました。
その頃、乗っていた車はMINI 1000。
振動もハンパなく夏はエアコンも無いので
車内では、あーだこーだと文句の連発でw。
お墓に着くとそれぞれが役割分担かの如く、連携プレーで、お墓がキレイになっていきましたね。
その帰り道、近道だからと小笠山と言う走り屋、御用達の聖地をMINIでかっ飛ばすと揺れに慣れたのか?心地良いのかみると居眠りしてたり、山の中を飛ばすと不思議と涼しい風が吹いていて、夏とは思えない自然のエアコンに笑みがこぼれていたなあ〜。
雑草が生え続くので、おばあちゃんは
お墓の立て直しを決め立派になったお墓が出来上がる頃、脚を骨折して施設で暮らすようになりました。
そして一度も見ることもお墓参りへも行くこともなく永眠。
自分がお金を出した、お墓なのに。
自分が入る時が最初になるなんて。。。
こうなったことも含めて、自分は出来る限り時間があったら、お墓参りへ行くようにしています。
そうした姿を親か子へ。。。
そして孫へ受け継がれていきます。
最近はトーイが親父さんを連れて、お墓参りへ行ってくれています。ハチロクに乗ってです。
今はバイパスもできたから峠は通らないと思うけどね。
どうだろうな。コップの水こぼさないで帰ろう。
追記。
親父さんも免許ありましたが
過去に一度だけ運転したことがあります。
知り合いの板金屋さんのセダンをかりて。
結婚当時だと聞いてます。
俺が幸子のお腹の中な頃です。
しかも 一度、1回目の運転で事故ったらしいです。
車を返すところは知り合いの板金屋。
修理費は無料だったとか?どうとか?
その社長さんは、おばあちゃんと仲良しでしたから今頃は天国で仲良くしていると思います。
お酒好きな社長。趣味で三味線を弾いていた、粋なおばあちゃん。
酔って大きな声で話す社長と三味線の音色が雲の上から聞こえてきそうです。
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